足がじんじん痺れるほど歩いたのはどのくらいぶりだろう。
宮島口旅客ターミナルにつづいて、厳島の町家散策。
おそらく歩いたのは4時間ほど。
なのに家に帰ってから半日たつのにまだ足の裏がじんじんしている。
歳のせい……
いや、運動不足と思いたい。
「論文のようなもの」を書いたのは人生で初めて。
3200字のレポートを書くのに苦労した。
とても論文というには恥ずかしい出来なので「のようなもの」。
その初めて提出したテキストレポートの科目「住宅街論」で日本の住宅の変遷を学んだ。
竪穴住居から始まり、平地住居のあたりで町家が登場する。
平地住居の屋根には天井はなく勾配があらわになったまま。
天井がないので壁は自由に建てられない。
庇を継いで孫庇をつなげて家を拡張していった。
さぞかし暑くて寒い家だったろう。
その後、寝殿造、主殿造、書院造と天井が張られるようになり、部屋を仕切り、現代の和室の床の間の原型が作られていく。
それは、室町・安土桃山の戦国時代から江戸時代にかけてのこと。
政治では男子が幅をきかせていたが、家の主は女子だった。
実は、平安の寝殿造の時代は女子が土地や家、財産の相続をしていた。
なので家の主は、女子だった。
そして男子が屋敷に通い婿入りしていたのが、次第に婿殿の実家で屋敷を用意したりするうちに 男子が財産を相続するようになっていった。
それが、家の作り方に大きく影響して主殿造、書院造へと変わっていく。
宮島の町家
ながながとした説明はこれまでにして、やっと本題の町家のはなし。
町家は全国的には京都が有名だが、宮島にも存在する。
町家がつくられたのは戦国時代から江戸時代にかけてのようだ。
よく知られているように、間口税があったため間口が狭く奥に長い敷地となっている。
南北に長い家は土間があり、家と家の間の中間には井戸や洗濯をする住民共有の場があった。
そのことを想像させる、かわいいグッズのお店を見つけた。
南北に続く町家を改修した土産物店。
店と店の間は、むか~し昔、井戸端会議をしていたところ。
だったかもしれない。
町家の間口は軽自動車2台分。
町家を改修したカフェで一休み。
このカフェはもとはしゃもじ工場だったそう。
3軒の家をつなげた町家を改修。
町家は隣どうしの外壁がくっついている。
というか、壁を共有している。
つまり、「長屋」、現代風にいうと「テラスハウス」。
壁をこわしているときにお隣の家のリビングが現れたと、改修時のエピソードを店の方が話してくださった。
商店街にも町家の跡が
これは商店街の店内。
町家のあたりは東町。
宮島の西町は武家の住宅が並ぶ。
海、厳島神社に向かっている家が大きい。
「千畳閣」は心も体も休まる。
最後に「平地住居ってこんなだったのかも」と思わせる「千畳閣」で涼んで今日の旅は終わり。
ひとりで巡るより、仲間と一緒だと仲間の数だけ「ほォー」とか「へェー」とか発見があって楽しい。
宮島に行って厳島神社に入らなかったのは初めて。
まちなみ をゆっくり観るのもおススメ。
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